横浜高校から社会人野球ENEOSに所属し、2023年ドラフト会議において1位指名を受けて横浜DeNAベイスターズに入団した度会隆輝選手。
2024年開幕戦で、ルーキーながら「1番・右翼手」で先発出場。史上初の新人選手による2試合連続ホームラン、4打数4安打の固め打ちを放つ活躍を見せ、さらにマイナビオールスター2024にも出場しました。
DeNAファンのみならず、全国のプロ野球ファンにとっても強烈な印象を抱いているのではないでしょうか?
ドラフト会議における1位指名後には、一時はドラフト指名漏れを経験したこともあり、同席した家族とともに涙しながら喜びを分かち合う一面も。
両親、兄弟との記念撮影が行われるなど、とても仲睦まじい家族関係が垣間見えますね。
そんなプロ野球会で活躍していくスター性を秘めている度会隆輝は、どのような家庭環境でアマチュア時代を過ごしてきたのでしょうか?
この記事では、度会隆輝の活躍の原動力となっている家族を紹介します。
特に、元プロ野球選手である父親・博文さんについて、現在の職業を含めて詳しく触れていきます。
DeNA度会隆輝の家族が凄い!両親と兄弟はどんな人?
DeNA度会隆輝選手の家族は、父:博文さん、母:祥子さん、兄:基輝さんの4人家族です。
順番に説明していきます。
- 父・度会博文さんについて
- 母・度会祥子さんについて
- 兄・度会基輝さんについて
父・度会博文さんについて
博文さんは、ヤクルトスワローズで活躍していた元プロ野球選手です。
詳しい内容については、「DeNA度会隆輝の父・博文は元プロ野球!ヤクルトスワローズの選手として活躍」にて紹介します。
母・度会祥子さんについて
2023年ドラフト会議後、家族から祝福される度会隆輝選手
#DeNA 1位
ENEOS・度会隆輝外野手家族仲良しフォトセッション📸
お父さんもうれしそう😂#ドラフト会議2023#FullCount10th pic.twitter.com/GLXDlSgTbA
— Full-Count フルカウント (@Fullcountc2) October 26, 2023
ドラフト会議後の家族写真において、息子である度会隆輝のプロ入りに心から喜んでいる様子が分かる母・祥子さん。
写真から見るとおり、とても美人さんですよね。
写真での仲睦まじい様子から、祥子さんから子供たちへたっぷり愛情が注がれていることを感じます。
光文社が運営するSmart FLASHによると、象徴的なエピソードとして、度会隆輝の実家に少年時代から存在する自主練習用のバッティングゲージ。こちらはなんと祥子さんの手作りだそうです。
祥子さん自ら研究した上で、単管パイプや補強のつなぎといった資材を、自らトラックを借りてホームセンターまで調達。
1か月で専用ゲージを仕上げたそうで、とても熱心で活発なお母さんという一面もありますね。
息子たちのやる気と楽しんでくれるその環境が、祥子さんの原動力となっていたそうです。
遠征で不在にしている父・博文さんの代わりにバッティング練習のトス役もこなし、練習に明け暮れ支え続ける毎日を送っていたとのことでした。
これだけ愛情を注いでもらった祥子さんに対し、プロ野球界で活躍している姿を見せることが、最高の親孝行ですよね。
ぜひとも1軍で元気に活躍するプレーを見せ続け、祥子さんのさらなる原動力にしてほしいと思います。
兄・度会基輝さんについて
基輝さんも野球選手として活躍しています。
NUMBER WEBによると、硬式野球船橋ボーイズ、拓殖大紅陵高、中央学院大を経て、現在も社会人野球でプレー中です。
硬式野球船橋ボーイズの小学部で全国大会出場。拓大紅陵高校時代は全国大会出場はならなかったものの、高校3年時は主将として甲子園出場を目指していました。
大学は父と同じ中央学院大に進学。1年生から試合に出場し、2年春からは不動のレギュラーとして活躍し、2年春と3年秋には千葉県大学リーグの首位打者を獲得しています。
中央学院大学時代の兄 基輝さん(引用;Number Web)
現在は、JPアセット証券の資産管理部2課・主任として野球に取り組まれています。
幼い頃から父の背中を追い、弟の度会隆輝とともに切磋琢磨しながらプロ野球選手を目指していたことでしょう。
弟の隆輝選手、父の博文さんに負けず劣らず、素晴らしい功績を残していることももちろん、高校時代は主将、大学時代はレギュラーとして活躍するなど、責任感と人望の厚さも感じ取れます。
現在も証券マンとして野球に取り組まれていることから、仕事に野球に充実したキャリアを歩まれているのではないでしょうか?
DeNA度会隆輝の父・博文は元プロ野球!ヤクルトスワローズの選手として活躍
博文さんの現役時代の成績は次のとおりです。
年度 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 |
1998 | 85 | 227 | 205 | 26 |
1999 | 19 | 41 | 38 | 3 |
2000 | 60 | 61 | 53 | 8 |
2001 | 53 | 52 | 49 | 11 |
2002 | 72 | 89 | 83 | 6 |
2003 | 39 | 45 | 40 | 8 |
2004 | 56 | 64 | 60 | 1 |
2005 | 45 | 64 | 60 | 1 |
2006 | 27 | 31 | 28 | 3 |
2007 | 68 | 95 | 88 | 9 |
2008 | 3 | 3 | 3 | 0 |
通算 | 527 | 772 | 707 | 76 |
年度 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 |
1998 | 54 | 9 | 0 | 4 |
1999 | 8 | 0 | 0 | 0 |
2000 | 14 | 2 | 1 | 0 |
2001 | 15 | 5 | 0 | 1 |
2002 | 18 | 4 | 0 | 2 |
2003 | 12 | 3 | 0 | 2 |
2004 | 17 | 4 | 0 | 0 |
2005 | 7 | 1 | 0 | 0 |
2006 | 10 | 2 | 0 | 0 |
2007 | 18 | 4 | 0 | 0 |
2008 | 0 | 0 | 0 | 0 |
通算 | 173 | 34 | 1 | 9 |
年度 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 |
1998 | 75 | 12 | 1 | 8 |
1999 | 8 | 2 | 0 | 1 |
2000 | 18 | 4 | 0 | 5 |
2001 | 23 | 8 | 1 | 3 |
2002 | 28 | 9 | 0 | 1 |
2003 | 21 | 4 | 0 | 2 |
2004 | 21 | 11 | 0 | 0 |
2005 | 8 | 0 | 0 | 3 |
2006 | 12 | 3 | 0 | 1 |
2007 | 22 | 8 | 0 | 6 |
2008 | 0 | 0 | 0 | 0 |
通算 | 236 | 61 | 2 | 30 |
年度 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 |
1998 | 1 | 12 | 1 | 32 |
1999 | 0 | 2 | 0 | 4 |
2000 | 0 | 3 | 0 | 10 |
2001 | 0 | 0 | 0 | 4 |
2002 | 0 | 5 | 0 | 16 |
2003 | 0 | 3 | 0 | 8 |
2004 | 1 | 2 | 1 | 14 |
2005 | 0 | 1 | 0 | 10 |
2006 | 0 | 2 | 0 | 4 |
2007 | 1 | 0 | 0 | 16 |
2008 | 0 | 0 | 0 | 1 |
通算 | 3 | 30 | 2 | 119 |
年度 | 打率 | 長打率 | 出塁率 |
1998 | 0.263 | 0.366 | 0.306 |
1999 | 0.211 | 0.211 | 0.25 |
2000 | 0.264 | 0.34 | 0.304 |
2001 | 0.306 | 0.469 | 0.306 |
2002 | 0.217 | 0.337 | 0.261 |
2003 | 0.3 | 0.525 | 0.349 |
2004 | 0.283 | 0.35 | 0.313 |
2005 | 0.117 | 0.133 | 0.131 |
2006 | 0.357 | 0.429 | 0.4 |
2007 | 0.205 | 0.25 | 0.202 |
2008 | 0 | 0 | 0 |
通算 | 0.245 | 0.334 | 0.276 |
※参考:日本野球機構
博文さんは1994年から2008年まで、15年間ヤクルトでプレーしていました。
現役時代、レギュラー定着はならなかったものの、ヤクルトのユーティリティープレーヤーとして貴重な役割を果たしています。
引退セレモニーであいさつをする度会博文さん(引用;Number Web)
週刊ベースボールオンラインの記事でも紹介されてますように、現役引退後もヤクルトのコーチをはじめ、広報、営業、スカウトを務めるなど、ヤクルトを支える役割を担っています。
また、「NPB12球団ジュニアトーナメント KONAMI CUP 2020」ではヤクルトジュニアの監督も務めておられます。
なお、選手としての活躍以外にも、チーム内でもムードメーカー的な存在としても慕われていたと思われます。
中でも、当時ヤクルトの中心選手であった名捕手・古田敦也氏とのやり取りが印象的です。
春季キャンプのトレーニング中、古田氏とともに階段ダッシュに励んでいた博文氏。
古田氏からダッシュ後に面白いリアクションを求められ、面白いと判断されるまで階段ダッシュを課せられておりました。
take3まで実施されており、最終的には古田選手からのOKが下され、良い雰囲気でトレーニングを消化しております。
この様子は珍プレー好プレーでも放映されており、博文氏の人柄の良さ、人望の厚さが伝わる一幕でした。
~プロ野球珍プレー ヤクルト古田が度会に無茶振り~
DeNA度会隆輝の父・博文の現在の職業は?
博文さんの現在の職業は、東京ヤクルトベースボールアカデミーに所属しています。
東京ヤクルトスワローズベースボールアカデミーとは、野球少年が安心安全で楽しめる環境で野球技術の向上を目指していくことを目的とし、ヤクルトOBをはじめ、経験豊富なコーチによる指導を行っている組織です。
15年間のプロ野球生活の経験を活かし、野球の素晴らしさを伝えつつ、子どもたちの可能性を引き出していくことを掲げながら、ヘッドコーチとして指導にあたっているようです。
現在もヤクルトに身をおいて活動されているのは、ファンとしても嬉しい限りですね。
まとめ
まさにプロ野球一家である度会隆輝の家族について紹介してきました。
度会隆輝のプロ入りまでの道のりは、博文さんをはじめとした素敵な家庭環境に支えられてのことだということが、ご理解いただけたのではないでしょうか。
プロ野球日本一まで昇りつめた博文さんのように、DeNAをリーグ優勝、そして日本一に導いてほしいものです。
そして、現役時代の時にみせていたチームへの献身的な姿勢のように、現在も野球界への貢献を継続されている父・博文さん。
まさに博文さんらしいキャリアを歩まれていますよね。
息子の度会隆輝選手のような未来のプロ野球選手を生み出せるよう、今後もプロ野球界の発展に寄与してほしいものです。
度会隆輝選手と同じく、博文さんの今後の活躍にも注目していきましょう。
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