「横浜DeNAベイスターズ松尾汐恩(まつおしおん)」
この名前を聞いて、プロ野球しか見ない方はあまり馴染みがないかもしれません。
何しろ、プロ野球の世界に入ってまだ2年目で1軍に定着している選手ではありません。
でも、高校野球ファンならご存じの方も多いと思います。
大阪桐蔭高校時代には、春夏合わせて甲子園4回出場し、3年春には選抜大会優勝も経験。
前身球団を含めDeNAが捕手をドラフト1位指名するのは谷繁元信以来34年ぶり2人目で、その期待の大きさが伺えます。
スポーツ選手の才能とその成長には、家族やその育った環境が大きく影響することがあります。
この記事では、DeNAの注目選手、松尾汐恩選手の実家など生まれ育った背景や家族に迫ります。
松尾汐恩選手の父ってどんな人?野球経験者で阪神ファンなのか?
特に、彼の父親の影響と、姉弟との関係が彼のキャリアにどのように影響を与えているのか深掘りしていきます。
DeNA松尾汐恩の父親: 野球経験者で阪神ファン?
高校野球ファンの方ならご存知の方も多いと思いますが、まだプロ野球に入団して2年目。
ご存知ない方もいらっしゃると思いますので、まずは、松尾汐恩選手について紹介させていただきます。
そして、父の野球経験が松尾選手に及ぼした影響について触れていきます。
DeNA松尾汐恩ってどんな人
DeNAベイスターズに所属する松尾汐恩選手は、若手ながらもその才能で注目を集めている選手です。
彼のポジションは捕手で右投右打です。
大阪桐蔭に在籍していた松尾汐恩選手は、DeNAからドラフト1位で単独指名され、2022年にDeNAに入団しました。
DeNA松尾汐恩の基本情報
松尾汐恩選手は、身長178cm・体重76kgです。
50メートル走6秒1を記録し、高校通算38本塁打を打ち、遠投110メートルの強肩を持つなど、走攻守バランスの取れた動ける選手としてドラフト1位で指名された時のデイリースポーツの記事では紹介されています。
プロとして現在の成績
入団直後の春季キャンプで1軍に合流し、主力投手と共に経験を積んだ後、2軍に合流しました。
2023年の2軍戦では、ヤクルト戦でサイクル安打を達成するなど打力・走力をアピール、同年には1軍初出場を果たしました。
サイクル安打とは、一人の選手が単打、二塁打、三塁打、本塁打を1試合ですべて打つことを指します。
ちょっと遅くなりましたがサイクルヒット達成しました!!
これからも頑張ります。 pic.twitter.com/ruOseNzIzZ— 松尾汐恩 (@shion_matsuo76) September 11, 2023
プロ2年目の今季開幕1軍でスタートするも8試合に出場し、打率.167で4月14日に出場登録を抹消され、その後は2軍で調整してきました。
2軍では打率.327と打率トップの数字を残して、7月15日に1軍に戻って来ました。
三浦監督も「コンタクトが元々良かったのがより確実性を増してきたと思いますし、キャッチャーとしても経験を積むことで良くなっている」と松尾選手に期待しています。
父親の野球経験とその影響
松尾汐恩選手の父親である太志(ふとし)さんは、デイリースポーツの記事にも紹介されていますが、甲子園にも足しげく通う熱烈な阪神ファンでした。
松尾汐恩選手がDeNAから1位指名を受けたことをきっかけに、「もうDeNAファンになりました!!もう今は青色。黄色から青になりました」と笑顔で答えました。
太志さんの行動からは、息子である汐恩選手への深い愛とサポート心が伝わってきます。
太志さん自身も野球経験があり、小学生の頃は野球をしていました。しかし、中学からは離れましたが、大人になってから草野球で復帰しました。
松尾汐恩選手の幼少期との関わりについては、仕事帰りにも自宅前や近くの公園でノックをしたりキャッチボールをしたり相手をしていたそうです。
これらの日々の練習が、松尾汐恩選手の野球技術の基礎を築いたのです。
DeNA松尾汐恩の実家・兄弟は?
松尾汐恩選手の実家は京都府精華町にあります。
家族は全員野球好きで、特に阪神タイガースの熱烈なファンです。
松尾汐恩選手の家族は、阪神タイガースの試合も一緒に甲子園で応援するほどです。
この環境は、松尾汐恩選手の野球への情熱に大きく影響を与えました。
男兄弟の情報ですが、以前に横浜DeNAベイスターズに所属していた松尾大河選手が同じ松尾姓であることから兄弟ではないかという噂がありました。
しかし、松尾大河選手は大阪府出身で三島小学校→三島中学と大阪府の茨木市の学校出身(週刊ベースボールオンライン:松尾大河選手プロフィール)。
松尾汐恩選手は京都府精華町で中学まで生まれ育っていることから、2人が兄弟ではありませんでした。
松尾汐恩と家族の絆
松尾汐恩選手には姉の優妃(ゆうひ)さんがいます。
優妃さんは阪神タイガースの北條史也選手の熱心なファンで、頻繁に試合に足を運び、おっかけをしていたと日刊ゲンダイの記事では紹介されています。
松尾汐恩選手の入団会見には、父の太志さん、母の美和さんと共に優妃さんも同席しました。
これは、松尾汐恩選手がどれほど家族から支えられているかがうかがえます。
家族全員が彼の野球キャリアを全力でバックアップしており、その強固な絆が松尾汐恩選手のモチベーションと成長に力を与えています。
DeNA松尾汐恩の野球に出会うきっかけ・どんな経歴?
ここでは、松尾選手の野球に出会ったきっかけ、甲子園出場した高校時代、そして、プロ入りまでも経緯について解説します。
野球に出会ったきっかけ
松尾汐恩選手が野球を始めたのは小学1年生のときです。
野球への最初の一歩は父親の影響が大きく、彼が幼い頃から松尾汐恩選手にグローブをつけさせていたことから、自然と野球をしたくなったそうです。
父親が趣味で行っていた草野球が、松尾汐恩選手にとって野球を始める大きなきっかけとなりました。
子供時代の活発な性格と野球への愛着
「息子は小さい頃からずっと外で遊んでいるような活発な子でした。家の中にあまりいなかったので、買ってあげたおもちゃもほとんど出番がなく、バットとグラブがおもちゃ代わりでした」と松尾汐恩選手の父大志さんは語っています。
保育園の頃も公文が終わったら、野球して過ごしていたようです。
学生時代からプロ入りまで
松尾汐恩選手は、精華町立川西小学校1年生のときに軟式野球チーム「精華アトムズ」で野球を始めました。
精華町立精華中学校では硬式野球のクラブチーム「京田辺ボーイズ」に所属し、投手と遊撃手を守っていました。
大阪桐蔭高等学校に進学した松尾汐恩選手は、1年生の秋にチーム事情により臨時で捕手を務めたところ、その能力が認められ、以降は捕手に転向。
大阪桐蔭高では1年秋からベンチ入りするほどで、能力の高い選手だということがわかります。
その後、高校2年の春から4季連続甲子園出場。
高校3年の夏の甲子園では印象的な記録を打ち立てました。聖望学園戦で15-0のリードで迎えた8回、直球を捉えて左翼スタンドへ。
そして、9回は1死二塁からチェンジアップを左翼スタンドに運んで、2打席連続の本塁打を放ち、OBの藤原恭大外野手(現ロッテ)らに並ぶ聖地通算5本塁打(同校最多)に。
サンスポの記事で、松尾汐恩選手はその当時の感想を「正直、実感はわかない。結果的にそうなったのは、うれしいです」と素直な気持ちを表現しています。
そして、走攻守のバランスが揃った松尾汐恩選手は、DeNAにドラフト1位単独指名を受けてプロ入りを果たすのでした。
引用元:
まとめ
DeNAベイスターズの松尾汐恩選手は、幼少期から父親の影響で野球を始め、高校時代の輝かしい成績を経てプロ野球選手としてのキャリアをスタートしました。彼の野球に対する情熱とご家族のサポートが賜物です。
小学1年生から野球を始め、中学時代には京田辺ボーイズで硬式野球を経験。
高校は大阪桐蔭で野球を続け、捕手に転向してからさらに才能を開花させた。
甲子園での成績と走攻守のバランス能力がプロスカウトの注目を集め、DeNAからドラフト1位で指名された。
家族、特に父親の影響が松尾汐恩選手の野球キャリアの起点になった。
幼少期にはバットとグラブがおもちゃ代わりであり、野球への情熱が早くから芽生えていた。
松尾汐恩選手のような若き才能が、家族の支えと自身の努力によってこれからも夢を追い続け、実現させていく姿をもっと見たくなります。これからの活躍に期待したいですね。
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