鈴木敏夫がジブリ引退!声優木村拓哉を批判?高校や大学や名言も!
鈴木敏夫さんが2014年8月3日の情熱大陸に登場。
ジブリと言えば、宮崎駿さん。
そして、忘れてはならないのが鈴木敏夫さんです。
この宮崎駿&鈴木敏夫のコンビで数々の
ヒットアニメ映画を手掛けてきました。
2013年に長編映画製作から引退することになった宮崎駿さんに続き、
鈴木敏夫さんが引退するという噂が広がっています。
その真相は?
「ハウルの動く城」で声優を務めた
木村拓哉さんに対する鈴木敏夫さんの評価は?
鈴木敏夫さんのプロフィールを含め、名言なども紹介していきたいと思います。
鈴木敏夫の高校や大学などプロフィールまとめ!
鈴木敏夫さんのプロフィールです。
名前:鈴木 敏夫(すずき としお)
生年月日:1948年8月19日
出身地:愛知県名古屋市
血液型:A型
高校:東海高校
大学:慶應義塾大学文学部社会・心理・教育学科社会学専攻
職業:映画プロデューサー
■経歴
1972年:徳間書店に入社。
1982年:「風の谷のナウシカ」の連載開始に尽力。
1989年:スタジオジブリへ移籍。
1997年:スタジオジブリが徳間書店に吸収合併され、
徳間書店の社内カンパニーとして「スタジオジブリ・カンパニー」が発足。
鈴木敏夫さんがプレジデントに就任。
1999年:徳間書店が事業本部制を導入し、「スタジオジブリ事業本部」が設立。
本部長に就任した。
2004年:東京大学大学院情報学環特任教授に就任。
2005年:スタジオジブリが徳間書店から再び独立。
代表取締役社長に就任。
2008年:スタジオジブリ代表取締役社長を退任。
■作品
1987年: デジタル・デビル物語 女神転生
1989年: 魔女の宅急便
1991年: おもひでぽろぽろ
1992年: 紅の豚
1994年: 平成狸合戦ぽんぽこ
1995年: 耳をすませば
1995年: ジブリ実験劇場 On Your Mark
1997年: もののけ姫
1999年: ホーホケキョ となりの山田くん
2000年: サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS
2000年: 式日
2001年: リセス ぼくらの夏休みを守れ!
2001年: 千と千尋の神隠し
2002年: めいとこねこバス
2002年: コロの大さんぽ
2002年: 猫の恩返し
2002年: ギブリーズ episode2
2004年: イノセンス
2004年: ハウルの動く城
2006年: ゲド戦記
2008年: 崖の上のポニョ
2010年: 借りぐらしのアリエッティ
2011年: コクリコ坂から
2012年: 巨神兵 東京に現わる
2013年: 風立ちぬ
2013年: かぐや姫の物語
2014年: 思い出のマーニー
鈴木敏夫が声優・木村拓哉を批判?
木村拓哉さんはジブリ映画「ハウルの動く城」(2004年)で
声優として主人公のハウルを演じています。
鈴木敏夫さんはどちらかというと毒舌キャラですので、
きびしい批判めいたことを言うかと思いきや、木村拓哉さんをべた褒め!
「俺ねぇ、感心した。」「本当にすごかった。なんちゅう真面目な人だ」
とコメントしています。
鈴木敏夫がジブリ引退!
ネット上に鈴木敏夫さんが引退という言葉がたくさんありますが、
これはデマか勘違いで、実際は引退していません。
「思い出のマーニー」のプロデューサー西村義明さんも
「はっきり言いますが、鈴木さんは引退していません。」とはっきり言っています。
なぜ引退や勇退という言葉が広まってしまったかというと
これは鈴木敏夫さんがGMに就任したためのようです。
GMに就任した理由が面白いのですが、鈴木敏夫さん曰く、
「中日の落合さんの真似です。GMがうらやましかった。」(笑)
ということで、やることはほとんど変わっていないようです。
実際、「思い出のマーニー」では企画決め・スタッフ決め・プロデューサー決めや
大事なスタッフの説得などを担当したそうです。
もしかしたら、すぐに引退しなかったのは、
プロデューサーを育てていくという考えもあるのかもしれません。
「思い出のマーニー」でプロデューサーになった西村義明が
どのようなジブリを作っていくのか楽しみですね☆
鈴木敏夫の名言集!
鈴木敏夫さんの名言を集めました!
いつのまにか自分の中に入っていることが大事なんじゃないか。
会った瞬間に100%、相手のことが好き。一点の曇りもなく。
ジブリという会社をどうするかというときも、どこか他人事感がある。
だから深刻になることが少なくて冷静にみていたりする。
これは案外、大事な資質かと思いますね。
宮さんに言ったことがあるんですよね。
「落ちぶれても一緒にやりますからね」って。
一日の大半を仕事に費やすのだから、
そういう人がいなかったらやっていられないですよね。
無能だとね、お金を使わないんですよ。
あれは光源氏がどんどん女性と関係していくわけじゃないですか、
その日本人の倫理観をちゃんと描けば、
世界に出せる作品になるんじゃないかって考えているんですよ。
そもそも、映画そのものが科学の産物であって、
技術革新によって発展したものですから、それは否定しません。
でも、宮さんと僕がやっている間は、
やっぱり手描きのアニメーションにこだわりたいんですね。
どうにかなることは、どうにかなる。
いかがでしたでしょうか?心に響く名言はあったでしょうか?
やはり実績のある方の名言となると重みが感じられます。
プロデューサーからGMになった鈴木敏夫さんですが、
これからどのような人生を歩んでいくのでしょうか。
子供たちに夢を与える仕事をずっと続けていってほしいと思います。
これからの活躍も楽しみにしています☆
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